不可視に浸食する監視と管理、不安定な自我 vs 地域社会 /第一回社会を確かめる会『ウェブ社会のゆくえ 多孔化した現実のなかで』③
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ウェブ社会での親密性、見せたい私の承認問題 /第一回社会を確かめる会『ウェブ社会のゆくえ 多孔化した現実のなかで』② - yozora_kのブログ
社会を確かめる会は、四流色夜空と相原ユキさんが社会学と呼ばれる領域の数多の本の中から、課題図書として一冊選び、それをテーマに据えて雑多にわいわいおしゃべりする、いわば読書会のような会合です。もちろん本の内容に関連してしゃべってますので未読の方はお気をつけください。
課題本『ウェブ社会のゆくえ 多孔化した現実のなかで』鈴木謙介(NHKブックス、2013)
ウェブ社会のゆくえ 〈多孔化〉した現実のなかで (NHKブックス)
- 作者: 鈴木謙介
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2013/08/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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<前回からの流れ>
夜空 四章から六章にかけて後半ということになって、第二部に入ります。第一部では、延々と物理空間の特権性の喪失が言われていて、まあなんというか、情報が空間を超えて来るので、その場にいること自体の価値っていうのが、維持できなくなってきているということですよね。
相原 そうですね。雑にまとめてしまうと、スマートフォンの普及にともなってソーシャルメディアが発達して、そのSNSにドハマリしてどつぼにはまって抜け出せなくなる、依存っぽい人たちがいる一方で、その逆にリアルの方では、デート中に携帯を見るみたいなかたちで、「お前いまそれやめろよ」みたいな案件が生じるようになってしまった。そのウェブによって物理空間の特権性が消えてしまったという話でしたね。
夜空 そう、リアルが違ったかたちになってきてると。ウェブに浸食されてると。で、まあ、その浸食されてるのを「多孔化」という言葉で、つまり「孔がいくつもあいてる状態」として形容されてるんですけど、その多孔化による社会的な問題とその解決法が第二部では示されている、ということですね。
〈第二部 ウェブ時代の共同性〉
<第四章 多孔化現実の政治学>
どこどこにおいて消息不明、たぶん山に行ったと思われる
相原 四章の話はざっくりふたつに分けられるかなと思っていて、前半はやっぱりその情報空間とリアルの現実空間が重なって多孔化してしまいましたよねっていう、それでその「電話のある場所がわたしの場所である」であったりとか、あと場所の特別さが喪失したであるとか、そういった事例を出してきたと思っていて、これがまずひとつ。で、次がその、じゃあその公共空間との関連で、情報空間と現実空間が入り乱れていく中で、それをどう統制すべきなのか、権力を用いて規制すべきなのか、という話を第二段でしていたと思います。だからその、「公共圏と親密圏」とか「現実空間と情報空間」とかそういうものを対置させて理解すると分かりやすいんですけど、「入り乱れてるよね、じゃあ統制して均一な空間をつくりますか?」みたいな、でも「それって倫理的にどうなの?」みたいな話をしている。あとリスクがもうコントロールできないとか。
夜空 多孔化現実を管理する力っていうことで、たとえば料理の撮影をレストランで禁止するのかどうかみたいな話もあるんですが……。「社会的振り分け」ってところがね、これはいま文脈を挟まずに単語だけ言っているわけですけど、気になりましたね。「社会的振り分け」って、いまもネットとかでよくつかわれてるターゲットマッチ広告とかが例に挙げられているんですが、グーグルとかで検索をかけたときに、自分のいままで見た履歴とか男性・女性の違いとか、何年生まれとか、そういった情報によってその人ごとに表示される検索結果の順序が違っていたりとか、まあ広告が違ってたりとかしてて、で、それが当事者(検索してる人自身)にはほかの人とは違っているのが分からないっていうことですよね。だから、自分にカスタマイズされた検索結果や広告が出てくるんだけど、それが自分だけのものと気づくことなく……、要するに監視する側は分かってるけど、監視されてる側はそれに気づかないみたいなのがあって、それによって分断が起きているということはあるかもしれないですよね。まあ、「社会的振り分け」というかターゲットマッチ広告とかは、実際に使われているので、それによって分断がはっきり分かれてくるかもしれないなとは思いましたけど。でも、当事者は気づかないので、この四章では(監視社会論側からの意見として)「自己情報コントロール権」が出てきて、グーグルとかに対して自分の情報がどのように使われているかを自分の責任において管理して、必要があれば、たとえばウェブサイトとかが勝手に自分の情報を利用していることに気がついた場合、それを差し止める権利を行使すべきであるみたいな主張も示されているんですけど、この本の中で言われている通り、まあそもそもそんなことはできないのではみたいな。簡単に言うと。ウェブの無限定性に抗しうる、そんなにぜんぶのこと(自分の情報がウェブでどのように使われうる可能性のすべて)を覚えているんなら、管理できるのであれば、むしろそうでないと自己情報コントロール権の行使はできない、よって難しいですよね、って感じになってましたね。まあ、「プライバシーのコスト論」っていう、たぶん前も出てきたような気もしますが、
相原 そうですね。
夜空 そもそも、個人情報を他者に預けたのはプライバシーを守るためであったので、それをこう、それは不当だと言って他者に預けたものをどうこうするのは結構無理があるっていう。だからネットにぜんぶ繋がないとか、マイナンバーを登録しないとか、そういうなんか頑張りを見せれば、なんとかできるかもしれないけど。
相原 山に籠もりましょう。山に籠もるしかない。
夜空 たしかに。山に籠もったらね。そんなに「社会的振り分け」はないかもしれない。
相原 そうですね。
夜空 国のなんか、管理してるノートには「山に籠もり中」という状態が書かれ、それ以上は何も書かれてないみたいな。
相原 いやでもそこ握られてるのちょっとつらい、悔しいですね。
夜空 どこどこにおいて消息不明、たぶん山に行ったと思われる、みたいな。
相原 自殺かな。
夜空 そういうことはあるような気がしますね。
相原 でもやっぱりその、そういうリスクが増大していく不安っていうのはあるんじゃないですかね。その、自分で管理できないっていう。信頼できるか分からない他者に、自分の重要な一部分を預けなければならない。
夜空 そうですね……。でもログインしないとサイトが見られないとか。なんか、そういうことじゃない? まず登録してくださいみたいな。そういうサイトとかあるじゃないですか。これ以上読むには、会員登録が必要ですっていう。
相原 えっちな漫画のサイトじゃん。
夜空 いやたとえば朝日新聞のウェブのあれとか。
相原 あれも確かにそうですね。
夜空 全然えっちなサイトとかは分かんないけど……。それ架空請求の話なんじゃない?
相原 えっ、架空請求? それもありますね。
夜空 架空請求じゃなくてもあるかもしれないけど。まあ、なにをするにしても登録社会でしょ。だから登録しないとなにもできないことになっているので、「社会的振り分け」はTカードとかPontaカードとか、使われてますよね。
相原 社会的振り分けをだれがしているのか、気になりましたけどね。なんか神の見えざる手というか。普通にこう、権力が悪いみたいなこと言ってるけど、じゃあ権力ってどこよみたいなことを考えると、茫漠とした……。
夜空 それは営業部とかなんじゃない?
相原 そういう話になるんですか。
夜空 営業じゃないか。なんか会社のデータ管理してる人たちでしょ。たぶん。
相原 なるほどね。
夜空 この人には今度プレゼント送っとくか、みたいな。たまにTカードでファミリーマートで買うと、来るよね。当たらない?
相原 えっ、一回も当たったことない。
夜空 なんか常連のあなたには、30円引きのクーポンとか。僕よく当たるんですけど。よく行ってるからかもしれない。
まあ、四章の後半、さっき言ってたリスクの話に関連しますが、リスクの可視化ということですね。監視社会論の立場は、長らく地域の安全マップを作ることに対して反論を述べてきたということが挙げられていて、地域におけるセキュリティ問題を可視化する安全マップを作るということは、安全ということをアピールするときに、土地の値段が上がるということもあり、その過程で危なそうな人とかは当然排除されるわけで、そうした排除によって成り立つことなので、安全マップというものは。だから地図化することそれ自体が権力の行使であるということを、監視社会論の側からは主張されていたわけですが、2011年の東日本大震災により、放射線の汚染とかがあり、現実にこう分断というか、安全か危険かという差が激しくなった現実が起きたわけで、さっき言ってたのは単純にその土地の値段が上がる上で都合の悪いひとはその過程で排除されるってことを言ってたんだけど、震災が起きてからは安全とリスクのある土地が明確に分かれるようになって、その結果必然的にというか、貧困層は排除されるということになってしまったと。
相原 貧困層ということだけでなく、その地元で就職してる人/してない人、親族がいる人/いない人っていう、様々なそれぞれの世帯の事情によって、一部の属性のひとが排除されるということが起こってきますからね。
夜空 一部の属性……。
相原 そう、逃げづらい属性であったりとか。
夜空 そうですよね。それで、この排除はする側にとっては無意識的で自然となされるっていう。要するに、安全なところにはお金の持ってる人が行くけど、まあでもお金を持ってる人はべつに(元々その土地に住んでたひとを)排除しようと思って行ってるわけではなくて、安全だから行ってるわけで。排除は、する側はあんまり感じてない。そういう分断が起きてるということなんですよね。
相原 そうですね。
夜空 それでまあ共同性をつくるのは可能か、みたいな結びになってるわけですが。
相原 共同性とはっていう。ここで急に地域っていうのが出てきたんですよね。
夜空 あー、地域ね。うん。そうなんですよ。
相原 急に地域が出てきた……。
夜空 やっぱりね、多孔化した現実を結び付けるのは地域しかないっていう、そういう流れなんでしょうね。
相原 なるほどな。わたしはこう、ナショナリズムの話とか来るのかなってちょっと思った。
夜空 でもナショナリズムも言及されてるよね、六章かなんかで。
相原 あーちょろっとは出てきたかも。
夜空 でも安全マップはどうですかね。たとえば都市部で、危険な人を排除するとかどうなんですかね、どう思います?
相原 どうというのは、……えっ難しいですね。やっぱりなんか排除する……、うーん危険な人は排除せざるを得ないのでは、という気が。できればその危険な人を包摂して、危険でなくするようなシステム、制度が公的機関で用意されてるべきだとは思います。でもその危険なままで放置するっていうのは、かなり難しくなってくるんじゃないかなっていう気がしますね。
夜空 危険のその考え方によりますよね、どの程度かみたいな。
相原 そう、それもすごくあって。そのどの程度かをだれが決めるのかっていうところが、結構権力の問題で、コアなのかなあって思うかもしれないですね。
夜空 でも、「ここは安全な地域です」みたいな、たとえば都心部の近くとかでね、そういうところが多くなったとして、犯罪歴のすごいある人たちが一か所に集まる場所とかもできるわけでしょ、そしたら。排除された人たちが集う街みたいな。
相原 そうですね。もっと身近に、生活保護受給率が高い地域とかもありますからね。
夜空 あーそういうこと……。
相原 あとそういう括りで、ちょっとここで例は挙げたくないですけど、その外国人が多い街は治安が悪いみたいな偏見があって、地価というか家賃が安かったりとかはしますよね……。
夜空 まあでも地方はどんどん安くなるんじゃないですか、普通に考えて。外国人流入者も増えて。働き手になってくれて。少子化ですからね。東京だけが上がっていくみたいな。
相原 東京もうやだー。
夜空 東京はもっと上がる可能性ありますよね。まあ四章では共同性を立ち上げるところまではいってないので……。なんか気になるところはありました?
相原 そうですね……。なんというか、作者が結構やりたいことがどっちつかずなのかなっていう気持ちがすごくあって、そのどっちつかずさがわりと解決されないまま、その、次章に進んでしまうからそこはちょっともやっとしたかもしれないですね。ウェブによって現実が多孔化して、ダイナミックな意味が空間に付与されるようになるわけじゃないですか。
夜空 うんうん。
相原 この筆者はわりとそういうものに肯定的で、そのウェブの力を活かしたいみたいな気持ちがあって、またSNSに個人が投稿して、その理想の自分を見せることで自己が安定的になるみたいなことについても肯定的な評価をわりとしてるじゃないですか。
夜空 はい。
相原 一方で、いやでもやっぱダメだから共同性だよってことを言っていて。なんか共同性が復興されたら、またこの私的な空間が自由に入ってくるダイナミックさっていうのは、ちょっと両立できるのかなであったりとか。結局どういうポジションでいるのかなっていうのが、ちょっと見えづらいなっていうのが。両方欲しいんだろうなっていうのはすごく伝わる。
夜空 最後ドカンと来ますからね。
相原 ドカンと来ますね。
夜空 見えづらいですよね。ま、まさかそんな方法で共同性が復活する!?みたいな。すごいやり方で来るので、ちょっとびっくりしますよね。まあ、びっくりしたというのは言っておきましょう。
相原 そう、そういう感じで。はい。
夜空 まあここは繋ぎの章みたいになってますよね。
相原 そうですね。
夜空 前半と結論の接続部で、だから結論の前提となるような紹介が多くなってるので。なんかね……、メロウウィッツとかいう人がいて。
相原 あー出てきたような。
夜空 ちょっと読んでいいすか。「私たちがいたるところにいるということは、私たちが特にどこかの場所にいるわけではないということでもある」(本文、p149)っていう。まあ、ただこれが詩的でいい言葉だなあと思っただけなんですけど。
相原 そうですなー感が高い。
夜空 ちょっとぼやっと言うと、海とかね行くときは携帯見ないでしょみたいな。むしろぼくは電源オフとかにしますよって気持ちがありますね。
相原 夜空さんは実際電源オフにしてらっしゃるんですか?
夜空 バッグに入れたりしますね、サイレントモードにして。こうポケットとかにいれてると見ちゃうので。雑木林とか遊歩道とか、最近よく夜に歩いてるんですけど、バッグの中に入れて二時間見ないみたいな。
相原 おー。
夜空 離しておくってことですよね。
相原 距離感を保つみたいな。
夜空 あの、場所の特権性が喪失するって言ってて、まあそうなんですけど、だから物理空間の特権性を維持するためには電源オフしかないですよね、やっぱ。
相原 意図的に、切断しないと。いやでもわたし電源オフにしても電源入れちゃうんですよね。
夜空 意志が弱いのでは?
相原 電源入れちゃう……意志が弱いんですよ。あとなんか携帯失くしたときとか、えっ携帯ないやばいってことをツイートしようとして携帯がないことにまた気づくみたいなことを。
夜空 あっどっかに電話しなきゃ、あっでも携帯ない!みたいな。
相原 そうそうそう。
夜空 携帯なくすのはやばいよね。
相原 まあ、ややなくしますがさておき。
夜空 あーほんとですか。五、六章いきますか。五、六ねえ……まあいいんですけどねー。
相原 急転直下なんだよなあ。なんかラスボスが急に来た感じなんだよなあ。
夜空 まあ、五章はね、観光の話ですよ。はっきり言って。
<五章 多孔化した社会をハッキングする>
供犠としての泉こなた……。
夜空 観光から聖地巡礼とね、ババーンと来てるわけですよ。
相原 いやーアニメの話するんだあ、この人って思った。
夜空 もちろんするでしょう、なんかそういう人でしょう。アニメの話はどうでしたか?
相原 うーん、アニメじゃない方がいいんじゃないかなって。
夜空 え?
相原 なんでしょうね。この人がやろうとしてることは、多孔化してしまった、現実空間が情報空間によってその分断されてしまった状態を、その別の情報で上書きすることで新たにその空間を統合しようっていうことをやろうとしてると思うんですけど、でもなんかそれについて、後々そういう空間ないしコミュニティを継続させる・持続させるってところを重視するじゃないですか。
夜空 あーはい。
相原 皆様のアニメの好みがクールごとに変わる中でなかなか持続的にそのコンテンツ、もっぱら消費されてるようなものをっていうのは大分きついんじゃないかなっていうのが所感としてありましたね。
夜空 まあ、例に挙げられてるのは「らき☆すた」、らきすた神輿とかですよね。
相原 泉こなた……。
相原 ひえきさんのあれを思い出してしまうな。
夜空 「泉こなたの亡骸に愛を込めて」(『しあわせはっぴーにゃんこ』所収、2014年、カラフネ)ですね。
相原「もうきみのことは覚えてはいないが、」っていう。
夜空 それはでもあれでしょ、六章に出てくるバタイユの供犠。
相原 供犠ですねえ……。
夜空 最初の犠牲者は忘れられる運命にある。
相原 供犠としての泉こなた……。
夜空 まあ、アニメとかも言われてましたけど、まあ観光……。
相原 観光によって外とのかかわりを保ちつつ、緩やかな出入りのあるコミュニティみたいなのがつくれたらっていうところなのかな。
夜空 うーん、そうですよね。空間の情報の上書きのひとつの方法として観光が取り上げられてるんですよね。で、そこでのひとつの例が、まあこの本が企画された当初、すごい社会現象として上がっていたので、らきすた神輿が例として挙がってるってことで。結構前の話みたいな。今のアニメ聖地巡礼は、どうなんでしょうね。実際の土地とは関係ない文脈があって、それはアニメでもいいしドラマでもいいんだけど、でそれで、観光客がすごい聖地として訪れて、で、それを受けて観光地側がそれも含めたような地域活性を目指すみたいなことなんですよね。
相原 そうですね。
夜空 で、それがまずひとつ、個々人に分断されているような、だからアニメを消費してる人たちと元々その土地に住んでる人たちをとりもつような、ゆるやかな動きとしてまあひとつあるんじゃないかってことは言われているわけですね。でも、コミュニティとはなにかって話もされていて、それは決まった空間、どういった土地に属するということが思い起こしがちですが、人びとの再帰的な帰属感によって生み出されてるという風に、この本では書かれていて、これはジェラード・デランティという人ですかね、195ページですね、で、それに基づけば、コミュニティ、つまりどこで生まれてどこの学校とか行ってどこの会社で就職してとか、そういうのではなく、再帰的な帰属感で、ここの文中に出てくるのは、「ショッピングモールでの一体感」とかも書いてあるわけですね。
相原 うん。必ずしもその決まった空間とか固定された関係性とかではなく、なんか「ここに属しているんだ」みたいな認識によって、繰り返し体験され、おそらく醸成されていくもの。
夜空 そうですよね。再帰的な……これだ!みたいな。これが自分だ!みたいな。
相原 例えばその「これが自分だ!」っていうのでその、外から「これがあなたなんだよね」って言われて「あーやっぱりこれが自分なんだ!」みたいな繰り返し性・反復性みたいなものが、ある点で、アニメ聖地巡礼はよかったのかなとは思います。
夜空 そうですね。まあ、だから最初に書かれた「ルイーダの酒場」とかもひとつのコミュティとして呼びうるかもしれないって書いてあるわけですよね。ここで言われてるのって、「一体感」なんですよね。ウェブ上の祭りとかも書いてありますし。だから聖地巡礼も含まれるってことになっていて、で、そのあとシビックプライドみたいな話になっているんですが、どうなんでしょうか。
相原 結構わりと短くまとめられてた気はしますね。その、シビックプライドっていうのは市民が都市に対して持つ自負と愛着のことって書いてあったと思いますけど、まあそういうことに市民参加することによってつくってこうね、っていう話が。
夜空 そうですね。だけど、コミュニティは「一体感」なんですよね。だから市民が都市に対して持つ自負と愛着っていうのが……、あ、そうか観光地側のことなんですかね。要するに、観光客は「一体感」で来るっていうか、で、それに対して観光地側が柔軟に受け入れる姿勢みたいな……?
相原 たぶん、どちらかというと両方のことを言っているのかなあという気が、なんとなくします。……地域内のひとが愛着であったり誇りであったりっていうのを持つことを主眼にしてるので、地域観光地側の話をしてはいるみたいです。でもその地域内のひとが愛着とか誇りを持つために、その外から来る人が地域にどういうまなざしを向けるかっていうのが大事っぽいですね。
夜空 どういうまなざしを向けるか。
相原 そうですね。
夜空 ここでじゃあ、完全に観光地側みたいな……、いままでこう普通に情報社会にいる人たちを対象に喋っていたのが、観光地側の迎え入れる立場になっているんですよね。で、それは完全に都市や地域に組み込まれた一員としての視点でものを言っているので、なんかすごい違和感があって。
相原 ありますなあ。
夜空 さっきまでなんか再帰的モニタリングとか言ってたのに、自負と愛着って!みたいな。それが持てるなら……。
相原 いやでも自負と愛着は再帰的には構成されるんじゃないですか?
夜空 再帰的には構成されるかもしれないけど、根拠はないわけじゃないですか。無根拠な先回りで。予測の先回りで他人に対して自分を構成していくのが、他者に対しての自己のあり方だったんですが、そういう振る舞いをしつつも一方で、都市に対して、都市というか自分の住んでる街に対して、確固たる自負と愛着を持てるのかっていうようなことが疑問に思われましたね。
相原 持てないと思いますし、ここでもう筆者はある種「健常にコミュニケーションしようぜ」みたいな方向に振り切れてるようにすら見える気がします。
夜空 うん、まあだから両極端な二つの立場を同時に言ってるような……。
相原 言ってますね。
夜空 ひとつはすごい不安定な自己の在り方、というのを言ってて、他方でこれは観光地側の視座として必然的に導かれることなのかもしれないけれども、確固たる自己像みたいなことを言ってるので……。
相原 でも一方でこの人、確固たる自己像があると、結局人間は他人をハブッたりするよねみたいなことを……どっかで言ってましたよね。
夜空 排除ですか?
相原 結局その「結束力が強い地域はよそ者に冷たい」っていうのがp206で言っていて、やっぱりアイデンティティをコミュニティの一体感として持ってしまうと、そこから異質性はある程度除外されていくっていう。それをどう改善するのかっていうのは、ちょっとあんまりなかったのかなって。
夜空 それは次の章で、最終章で明らかにされる予定ですよね。
相原 最終章……。
夜空 でもこれ五章も結論部がちょっと面白くて、なんか結束力の強い地域はよそ者に冷たくて、地域の結合が緩くなると多様性に対する寛容度が上昇するとかになってるんですよね。
相原 追加して言うなら、現実空間が情報空間に上書きされて多孔化することで、その結束というのは明らかに緩まり寛容度は高くなっていたってことですよね。そこのダイナミックさとも結びついてたわけで。
夜空 これはでも……うーん……、これは、じゃあ、シビックプライドはできるって話なんですかね……そうすると。
相原 できるのかなあ。
夜空 だから要するに、地域の統合が緩くなり、多様性に対する寛容度を上昇させつつ、先に書かれてたようなシビックプライドを実現していくっていう話なんですかね。
相原 たぶん……そう?
夜空 だから結束力が強くなりすぎるとよそ者に冷たくなるわけじゃないですか。さっき言われてた通り。
相原 うんうん。
夜空 だから、「そうじゃないかたちで」シビックプライドを持たないといけないってことですよね?
相原 そうじゃないかたちで、どう持つんでしょうなあ……。でも、そういう点でよそ者を受け入れざるを得ない、よそ者と再帰的な関係を築いていかざるを得ないっていう観光っていうのはその妥当な解ではあるんですよね。論理的?理論的?に妥当な解ではあると思います。