第一回 社会を確かめる会『ウェブ社会のゆくえ 多孔化した現実のなかで』前半1/2

社会を確かめる会は、四流色夜空と相原ユキさんが社会学と呼ばれる領域の数多の本の中から、課題図書として一冊選び、それをテーマに据えて雑多にわいわいおしゃべりする、いわば読書会のような会合です。もちろん本の内容に関連してしゃべってますので未読の方はお気をつけください。

 

課題本『ウェブ社会のゆくえ 多孔化した現実のなかで』鈴木謙介NHKブックス、2013) 

ウェブ社会のゆくえ 〈多孔化〉した現実のなかで (NHKブックス)

ウェブ社会のゆくえ 〈多孔化〉した現実のなかで (NHKブックス)

 

 

夜空 今回この本を選んだ理由としては、社会学とかにふれたことのない人でも分かりやすい、導入的な側面を持っていること。そして、題材としても普段から親しんでいる、いわゆるネット社会とかSNSとかの問題に触れているという点で選びました。

 

〈第一部 現実空間の多孔化〉

<第一章 ウェブが現実を浸食する>

 

夜空 主にこの章で紹介されてる概念として、「情報空間」というのがあって、「デジタル情報技術によって物理空間に生み出された意味の空間」というようなことが言われていて、その中には①車のナビシステムや、②マーカー型AR、つまりセカイカメラとかの情報を空間に書き加えるものとか、あとは機械にかざすと浮かび上がって見える遊戯王のカードなどが例に出されてますけど、あと昔なんかアジカンのCD(マジックディスク)とかでもありましたけどね……

相原 ここは空間にその情報技術によって意味を上書きすることによって情報空間が現実空間に重なってくるという話をしてたところでしたっけね。

夜空 そうですね、空間に紐づけられた情報っていう括りのとこでしたね。だから、空間の意味を失うことなく、それプラス情報空間って感じですよね。で③に挙げられてるのがルイーダの酒場というふうに言われていますが、ドラクエの例で……まあ、ええっと、まあポケモンGOですよね

相原 うーん、なんでしたっけ、DSのすれちがい通信みたいな話でしたっけ。それですれちがい通信の場所で昔アキハバラビッグカメラの中かなんかが利用されていたけれど、そのユーザーがごった返して邪魔なので、ということでドラクエ冒険者が集まる酒場にちなんで、そのビッグカメラの外でルイーダの酒場という場所が設置されてそこで、すれちがい通信を行なうための場所ができたという。ドラクエのゲームをやってる人にだけ、その現実空間の一部が、その酒場として使えるようになった。その物理的空間に新たな意味が上書きされたっていう例でしたよね。

夜空 そうですね、だから場所自体の意味とは無関係に、その上方に情報によって割り当てられた空間として意味的空間が生じてますよね。

 まあそして図で書かれているので、言葉では言い表しにくいんですが(下の図)……。

 

 

 

  A ↑           ルイーダの酒場      A:空間の意味の上書き

  B |    マーカー型AR             B:空間に新たな意味を付与

  C | ナビ                     C:空間の解像度をあげる

     ―――――――――――――――――――→

     ①          ②       ③   

                      ①空間が固有に持つ情報

                      ②空間に紐づけられた情報

                      ③他者との電子的コミュニケーション

 

 

 で、その図を見て、思ったのは二章三章にいくにしたがって、これはあらかじめ先のことを言ってしまうことにもなってしまうんだけど、先のところを読むとSNSの話題が主だってくるのだけれども、この情報空間の三つのレベルのところはそんなに関係あるんだろうかっていう疑問が、あったんすけど、どうなんすかね。

相原 うーん、なくはないけどってところですね。飛ばしちゃったけど、「はじめに」のところで作者がこの本で言いたいことは、ひとつはウェブによって親密な他者との関係のありかたや考え方に変化が生じるということ、もうひとつはある空間の中に生きる人々が、ある社会の中に生きているという感覚を持ちづらくなるっていうことを言っていて、そのこの第一部だと親密性ってところにより重点をおいているので、あんまりその三つのレベルでウェブが入り込んできてっていうところからはちょっと遠いところはあるかもしれないですね。

夜空 まあ……ツイッターだと流れてくるから、こうひとつひとつのPOSTに別の意味があるから、その意味で空間の意味の上書きを意味しているようなPOSTが、あるといえばある……ですよね、だからなんかムービーとかになっててみたいな。

相原 例えばフェイスブックで友だちと「いいね」をこう頻繁にやり取りするためにネタになるようなカフェに行こうみたいなのも、空間に新たな意味を付与してるんじゃないですかね。

夜空 あーなるほど、確かに。そうかも。

相原 そのなんか空間の解像度が上がるのは、グーグルマップとかでよくありますし、上書きっていうのはちょっと難しいな。そんなに、いやあるんだろうけど……、でも聖地巡礼とかもそうですよね。

夜空 そうですね。

相原 そう、で、なんかそのわたしたちの生活っていうのは、この三つのレベル(解像度アップ・意味の付与・意味の上書き。上の図参照)である程度変化が起こっていて、その中で、親密性の変容であったりっていう問題も出てくるっていう感じなんですかね。

夜空 まあ、そうですね。親密性とかもあとで出てきますし、とりあえずこの図式(上の図)を頭に入れつつって感じで進めていきますね。

 それで、まあその先、ソーシャルメディアにおける政治的利用なども書かれているんですが、飛ばさせていただいて、次にユビキタスからクラウドへという話があります。えーっと、それで最後の方で、監視社会への懸念みたいな話をしてる部分があって、例えば僕のアイフォンとかでもそうなんですけど、写真を撮るとどこで撮ったかが表示されるとか、ツイッターでもツイートに位置情報追加とかね。まあ色んなものがありますね、Foursquare(現Swarm)とかね。まあそれで、そのデータ自体が管理され、監視されてるというような言い方もできるということで、それでちょっと面白かったというか気になった言葉が、「監視されたデータがその人自身のすべてだと見做されるようになる」(p55)ですね。だから、この私自身ではなく、それに基づくデータや記録やアーカイブスがその人自身であると。これも、データが自己を先回りする状態で、ある種の逆転が起こってるみたいな感じですよね。だからツイッターとかでPOSTしてることはデータなわけで、ほんとに身体感覚として自分が感じていることよりも、言語化されたものが自分であると見做される。主体もまたデータが自分自身であるという錯覚に陥るようなことがいわれてるのかなー、みたいなことを思いましたね。

相原 そうですね。うーん。

夜空 それに関連するかもしれないけど、最後に「現実のウェブ化」ってことで「ウェブが現実を資源化している」という表現がなされていて、まあ昔から言われるようなリアルとバーチャルの二項対立って話はもうできないと。これはご年配の方々に向けて言われてるんでしょうけどね。われわれにとってはもうわかってるよーみたいなところだと思いますけど。

相原 分かってるよーというより肌馴染みがしすぎてしまってるとこありますよね。

夜空 それ前提みたいなね。で、「ウェブが現実を浸食する」っていう第一章は流れとして、要点を掻い摘むとこういったことが言われているということですね。大丈夫ですかね。

相原 大丈夫ですけど、夜空さんめっちゃ硬くなってないですか? めっちゃ緊張してませんか?

夜空 いや、僕はもうね、ゼミで発表するときの手のふるえを思い出してますね……。とりあえず……ちょっと硬いですかね、僕?

相原 うん、硬いと思う。

夜空 ちょっと難しいな。

相原 和やかエピソードとかをすればいいですか?

夜空 和やかエピソード!?

相原 え、いま昨日買ってきた毛虫の糞のお茶みたいなのを飲んでるんですけど、なんかね、めっちゃ腐葉土みたいな味するんですよ。結構ふしぎ感覚ですね。

夜空 和んだところでじゃあ……。

相原 あんま和んでない気がするけど!

 

 

 <第二章ソーシャルメディアがわたしをつくる>

 

夜空 まあ、二章で一番グッときたところは「ほのめかしコミュニケーション」ですよね。

相原 あ、ツイッターでよくあるやつだ。

夜空 そうなんですよ。書いてあるのは「明確な結論や対象は曖昧だが、ネガティブな感情が婉曲的に表現された投稿」、そしてそのすぐあとに「キャンセル」がなされることがしばしばある。

相原 そうですね。そのツイッターとかでかまってほしいときに、「はあー疲れたー」ってだけのことを書いて、なにで疲れたかとか詳しいことを言わずにぼやっとしたほのめかしで、こう発信を行なうという。

夜空 エアリプとかとも書いてありますね。自己完結的な呟き……まあ、よくあることなんですけど。これは本書の文脈の中では「一貫した自己を演出し、物語ろうという仲間に対する差異化」みたいな、まあ自分語りみたいなことで、他の人とは違う物語の一貫性をアピールしていると書いてあって、それがいわゆる空気を読む的な同調圧力と葛藤しているみたいな話になってましたね。

相原 そうですね。ソーシャルメディア上ではその空気を読む圧力というのが、リアルよりも高いとこの本では述べられていて、なのでその空気を読みつつ、というのが大事になってくるんだけれども、そこでのこの「ほのめかし」という……、具体的に書かない。

夜空 そうですね……空気を読む圧力が強いんでしたっけ?

相原 p78の図に。

夜空 あっほんとだ! あ、リアル(対面関係)よりも、顔が見えない関係として、ですね。これはあれですね。どのように自分が見られているか分からないから……。

相原 どうとでも解釈できるようにしておくという。

夜空 再帰的モニタリングみたいな話になってて、だから相手からの期待が分からないから、常に先回りして自分を演出する。でもそれは根拠のないかたちでしか行なわれないので、他人に同調するのが安心できると。

相原 何も言わないのに何かを言いたいから、こう究極的に「にゃーん」とか言いだすあれですよ。

夜空 そう、その通りですね!

相原 「これはにゃーんなんです」みたいな。いやあ、まだ言ってるひといますからね。

夜空 あるよね、そういうの。

相原 それはつらいの「にゃーん」なのか楽しいの「にゃーん」なのかどっちなんだ。

夜空 それがたとえ分かっても、何も分からないみたいな感じだけど。

相原 「なにがにゃーんですか、恥を知りなさい」っていうのもあった。

夜空 それはヤバいよね、なんか。ほのめかしの否定、みたいなことでしょ。

相原 そうそうそう。

夜空 いいコミュニケーションだよね……。

相原 まあでもなんかその、ほのめかしをするしかないよねみたいな前提を共有している場でそれをやるからメタ的にギャグになるという。

夜空 かなり抽象度の高いところですよね。なんなんだろうなあ、あれは。ほのめかしがすでに前提となってるわけですよね……。

相原 夜空さんはほのめかしのどういったところに特に興味をもったんですか?

夜空 あっ、いや、なんかあるなーと思って。

相原 ある。分かる

夜空 まさに、しあわせはっぴーにゃんこみたいな話ですよねこれ。つらぽよ、とかね。

相原 ミーム汚染みたいな。

夜空 そうそうそう。あー、だからさあ、たとえばツイッターフェイスブックを比べると、フェイスブックの方が直接的に現実にあったことを報告するような雰囲気があるわけで、それよりはツイッターの方が、対象のないふわっとした(ほのめかしの生まれやすい)感じなのかなあ。

相原 (フェイスブックは)匿名性が低いですからね。

夜空 まあでもネガティブなことはあんま言わないんですかね。フェイスブックでも。言ってるんですかね。

相原 いう人もいますけど、これが俺だ!というのを自分の名前の責任で出さなければいけないので、あまりそのセルフィーが崩れるような、ペルソナ(仮面)が崩れるようなことはできないという……。

夜空 いやセルフィーは正しいですね。それはだって自撮りなわけでしょ。

相原 自撮りだね。

夜空 自撮りが崩れていくってのは、まさにその通りだね。

相原 だから、なんでしょうね。ツイッターの方が分裂症的なんでしょうね。その自由に崩してもいいから。

夜空 にゃーんとか言ってるもんね。にゃーんって来たらにゃーんって返すみたいな。謎のコミュニケーションが発生してるわけだけど。

相原 にゃーん、そうにゃんかーとか。わかるにゃんなーとか言ってますからね。

夜空 そうだね……だから、責任とかが発生しないかたちでの自分物語りなんすかね。

相原 そうですね。ツイッターはやっぱり逃避的に使う人も多いんじゃないですか。そのリアルの愚痴とか。

夜空 確かに。相原さんは、なんか二章で興味あったことあります? 僕は結構言っちゃった感じですけど。

相原 そうですね……、ソーシャルメディアのコミュニケーションはもはやコミュニケーションをとること自体が目的化しているって記述があって、それが面白いかなあとは思いました。p64に「もはや連絡を取り合うのではなく、絶やさずにいることが目的となっている」という言葉があったんですけど、なんていうか友だち地獄じゃないですけど、友だちと「いいね」を送りあったり、返信が返ってきたりっていうやりとりをすることでの連帯感とかがあって、それがゆえに連絡を取ること自体が目的化してしまい、ソーシャルメディア疲れとかがあるよねって話があって。

夜空 自足的ってやつですね。

相原 そう、嗜癖という言葉が使われていたんですけど、まあ健全ではないですよね。自閉的かつキャンセルとかほのめかしも、その道具として使われてますけど、コミュニケーション自体が目的化して増殖していくっていう。資本主義が貨幣の増産が目的化して本質を見失うみたいなのとすごいリンクしてますよね。

夜空 おっいい話。

相原 コミュニケーションにおいても、いままでにあった地に足のついた対面のコミュニケーションではなくて、ソーシャルメディアを介したようなコミュニケーション自体が目的化したやり方をしてしまうからそこにずぶずぶ依存していってしまうし、何のためにそもそも話していたのかが分からなくなってくる。なんかその虚無っぽさが虚無だなあ。

夜空 何のためとかないわけですよね。話してること自体が目的になっているから。

相原 そうそう、話したいことがないから話すために延々とその、ツイートして、ふぁぼがついて、リプライがついて、それにまたリプライを返してみたいなのが無限に続いていく。

夜空 どこで切ったらいいのか分からなくなっていく。

相原 だれかやめろっていう。そう、p69で「螺旋状の増幅過程」って言葉を使ってましたけど、「さびしさが無限に増殖していく」っていう。でもたぶんこれボーダーの女の子とかと同じで、いくらコミュニケーションしても充たされないタイプのあれなんだろうなあ。

夜空 まあ螺旋状なので、コミュニケーションしていけばしていくほどに、っていうことですよね。終わらないどころか、さびしさが増えていく。まあ……ツイッターに慣れてる人たちは、ふぁぼで終わらせるってやつですよね。とりあえずもういっかみたいな。

相原 正しい。

夜空 そういう振る舞いを人びとは身につけるべきだっていうことですね。どっかでこう終わらせる、ラインスタンプみたいな。

相原 まあでもこれ、ちゃんと相手がいて、なんか無限に増殖してるならまだいいですけど、自分で「こうかもしれない」「いやこうかもしれない」「でもそうじゃないかも」みたいなのを無限にやってると、モロイ(註:ベケットの小説モロイの主人公)みたいになりますからね。

夜空 あーなんかタイムラインがあると孤独をより煽る、孤立不安を煽る構造設計みたいな話もありましたね。こう、みんななんか言ってんのが見えるから、で、自分がいったこともすぐフローで流れていっちゃうので、参加してない感じが出てきますよね。

相原 それになんか一部、自分がワンオブゼムでしかないのが、露骨に見えてしまう。

夜空 まあでも、どうやったら勝ちとかもないからネタをパクツイしてふぁぼを増やしてく人とかも現れてますよね。

相原 ツイッターで解決策っていうのを言うのであれば、恋人ができたらツイッターを辞めるってやつじゃないですか?

夜空 絶対ダメでしょ。それ結局、そのときの魚拓みたいのを取られてて、その後破局したときに比較画像みたいな感じで上げられてネタ化されていく、地獄みたいな。

相原 監視社会じゃないですかー。やめましょうよそういうの。

夜空 それがまた人の目的化されたコミュニケーションの一部になっていくという。そういうので社会は回ってくみたいなね。

相原 みんな大変だな。平和に生きたいな。

夜空 やっぱ普通のこと言ってると駄目な感じなんでしょうね。人と違ったこと言わないとみたいな。前章で言ってた同調圧力と差異化の話ですね。

相原 ツイッターで過激なことを言ってふぁぼが来ると、もっと過激なことを言ってしまうあれですね。p93でありますけど、「他者に見られることを前提に、自分について書くことで他人から見られる自分を演出し、そのことで安定的な自己像を獲得している」というのがSNSでのほのめかしであるんじゃないかって言われてますけど。ソーシャルメディア上でも、一貫した自己というものを演出し、語ることによって自己イメージを安定させる。でもほのめかしによって、相手への応答というか、具体的にこう見えるでしょみたいな、反応を求めてないところがあるじゃないですか?

夜空 ああ、はい。

相原 自分はこうだよって決めつけて、ほのめかして出して、途中でキャンセルして見せず、それを繰り返していく。螺旋状に繰り返していく。自閉的な自己像がより再強化されていく。それでそこに依存するという。挙句の果てに、見て欲しいように見てもらえてるか不安とまで来ると結構もう病的な感じがしてきますよね。

夜空 見て欲しいように見てもらってるかどうかね……。ほんとに自己演出に長けている人はいいと思うんですよね。自分の宣伝に徹せられるひとは。

相原 そうですね。

夜空 そういう場としてももちろん使われてもいるし。元々自分の像がはっきりしていて、どういう風に演出をしていけばいいのか分かっている場合は、そのうまいこと、ほのめかしによってとかでアピールできる。けど一方で、そもそも自己像が確立されておらず、そこに巻き込まれるような状態で、螺旋状の増幅過程に入っていってしまうと、見てもらいたいように見てもらってるかの根拠がね、そもそもないので……。

相原 根拠がふぁぼとかになっていくとほんとうにやばい……。

夜空 そうっすね。ふぁぼですね。リツイートとかになってるわけですよね。

相原 こういうふぁぼが来るわたしが正しいんだなってなるのかなって。

夜空 そういうことですね。あの、だから、自分がアピールしたことであんまりふぁぼがついてないと、あっこれはわたしじゃないのかなみたいな。そっと消してく、みたいな。むしろこっちかーとか言って間違ってくみたいなことですよね。過激な方に自分を寄せていってしまうという。それはまあ、自分でつくってるわけではなくて、他人のこう野次馬的な興味、監視的なもの、あるいは珍しいもの見たさの視線において、持ち上げられてる部分こそが自分だと錯覚してしまう。ここに関してだけ言うと、ニコ生とかまあユーチューバーとかもそうかもしれないですけど、いわゆる警察オチと呼ばれるような。反社会的なことをやってまっせ、みたいなね。アピールがあるよね。そうするとちくわちゃんランキングとかがバーッと上がっていって。

相原 そうですね。

夜空 でもそうすると、ユーチューバーとかで見たんだけど、簡単な正義か悪かみたいな図式に当てはめるしかなくなってしまう状態になることもあって、自分の正当性をね。たとえば、お祭りの出店とかでひもくじを引いて商品があたるかもみたいな屋台があるじゃないですか。

相原 あるある。

夜空 で、それを売ってる分全部買って、実際に商品が当たるか検証するって動画を見たことがあるんだけど、で結局「当たりが入ってねーじゃねーか」ってことになってて。でも店主は「前の人が買ったかもしれねーじゃん」って答えてて、配信者が「でもこれってイカサマだよね!?」とか言ってて。だから、それって非常にこう極端な正義側に寄ってるけど、社会の中での振る舞いとしてはあんま正しくないんですよね。そこはそういうもんでしょっていうことが常識だったけど、そこに正しさの根拠を求めて行動していく。で、そこに視聴者が集まっていく。これってすごい分かりやすいかたちなんですよね。行動に収斂していって、それはいわゆる正義と悪の図式に当て嵌められるようなもので、すごく想像力的には貧しいものなんじゃないかってことは思いますね。

相原 なるほど、図式的に単純になって……見られるから単純になってるんですかね? それとも、現実世界の文脈から切り離されてるから単純になっていくんですかね?

夜空 うーん。見られてるからじゃないですかね。より多く共感が得られるし、それによって自我が強化されてるっていう循環があるので。だから現実世界でもそうだと思いますね。いまは、極端なかたちになってますよね、すべてが。

相原 まあそれでこの二章の終わりのところに書いてあった問題意識が、ソーシャルメディア上で認められる私と、現実空間にいまいる私というのの間に葛藤ができてしまうっていうのがあって、たとえばツイッター上のペルソナに没入しすぎてそっちが本当の私だ!みたいになってしまうと、当然それは反社会的な人とかはその現実空間にいる本人と葛藤ができたりしてしまいますし、それでそのソーシャルメディア上で認められる私っていうのが現実世界に入り込んでくるっていうのは、ある種空間の意味の上書きではないけれど、それに近いことが起こってる状態なんじゃないですかね。

夜空 そうですね。その通りですね。だからさっき僕が言ったのもそういうことを言いたかったんですけど、けどもっと言うならこれは空間の意味の上書きというよりいわば「私の上書き」ですよね。

相原 ひとりで上書きされてるね。

夜空 そうだね。

相原 この世界ぜんぶうそやねんて、ぼくだけがほんとやねんて。そういう画像が前回ってきましたけど。

夜空 いやあ、そうやって人は進化していく。いびつな成長を遂げていくってことですね。

相原 アンモナイトの異常巻きみたいですね。

夜空 え?

相原 知らないですか?

夜空 アンモナイト……。

相原 白亜紀だったかな。アンモナイトが絶滅する瞬間に、なんか貝殻の巻き方がぐしゃぐしゃになっちゃった時期があるんですよ。絶滅する寸前に環境に適応しようとして、そうなったらしいんですけど、めちゃくちゃなかたちに貝殻が進化しても、ねえ……全然環境に合ってないし、結局そのまま滅んじゃったんですけどね。いびつに進化してしまったんですよね。

夜空 それは……隠喩ですね。

相原 まあ、アンモナイトの異常巻きみたいな人がツイッターには多いですけど。

夜空 それはでも、そうしないとやってけないみたいな部分があるってことですよね。そういう空気というか。

相原 そう。過剰になにかに適応しようとした結果として失敗してしまうという、ね。対極的に。

夜空 アンモナイトがすべてを言い表してくれたって感じですね。

 

 (第一回社会を確かめる会『ウェブ社会のゆくえ 多孔化した現実のなかで』前半2/2へ続く……)